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長崎地方裁判所 昭和56年(行ク)2号 決定 1982年8月17日

申立人

山田芳廣

右申立人代理人

森川金寿

佐伯静治

戸田謙

外一四名

被申立人

長埼県教育委員会

右代表者委員長

山田治助

右被申立人指定代理人

井上映篁

外一四名

右被申立人代理人

木村憲正

俵正市

草野功一

主文

本件申立を却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

理由

一申立人の申立の趣旨及び理由は別紙(二)に、被申立人の意見は別紙(三)、(四)にそれぞれ記載のとおりである。

二免職処分の存在および本案訴訟の係属

1  申立人は、長崎市立川平小学校に教員として勤務していたものであるところ、申立人の任命権者であつた相手方が昭和五六年七月二〇日申立人を分限免職処分にしたこと、及び申立人が同年八月二九日長崎県人事委員会に右処分につき不服申立をしたことは当事者間に争いがなく、申立人が同年一一月一三日本件免職処分の取消を求める訴(当庁昭和五六年(行ウ)第四号)を提起したことは当裁判所に顕著な事実である。

2  ところで、地方公務員に対する不利益処分の取消を求める訴えは人事委員会の裁決を経た後でなければ提起することができず(地方公務員法五一条の二、四九条一項、四九条の二第一項)、前記本案訴訟が長崎県人事委員会の裁決を経ないで提起されたものであることは申立人の自認するところであるが、前記認定のとおり同人事委員会に対する不服申立より約二ケ月半経過後本案訴訟が提起されていること、当時同人事委員会には他に多数の案件が係属していたこと(このことは当事者間に争いがない。)等の事情に照らすと、右申立に対する早期の裁決は期待できず、申立人が裁決を経ないで本案訴訟を提起したことにつき正当な理由があるものというべきであり、本案訴訟は適法に係属しているものと認められる。

三回復困難な損害を避けるための緊急の必要

1  申立人は、「申立人は賃金を唯一の生活の糧とする賃金労働者であり、本件処分により賃金を失つて生活上の困難に陥ると共に教師不適格との烙印を押されて精神的にも大きな打撃を蒙つており、申立人の生活基盤ないし家庭基盤は崩壊の危機に瀕しているので、本件処分により生ずる回復困難な損害を避けるためその執行を停止する緊急の必要がある」旨主張するので、この点につき判断する。

2  申立人は、昭和二九年から五島の公立小学校に勤務してきたが、広域交流人事の対象者として昭和五二年長崎市内の小学校に転勤となり、翌五三年、同じく公立学校の教員である妻和子も五島から長崎県西彼杵郡香焼町立香焼中学校に転任したところから、申立人夫婦は現住所に住居を新築したことは当事者間に争いがない。

そして、<証拠>によれば、申立人は、本件処分を受けた後も他に就職せず、和子と二人主として和子の給与で生活しているが、前記住居新築の際、その資金として和子名義で公立学校共済組合から六〇〇万円、申立人名義で長崎県労働金庫から一、〇〇〇万円、住宅金融公庫から三八〇万円を借り受けており、現在これを月々返済していることが疎明される。

しかしながら、前掲各疎明資料に<証拠>を加えて仔細に検討すれば、和子の昭和五六年分の給与所得総額は、五三六万五、四六六円であつたこと、申立人夫婦が同年中生活費以外に支出を要した費用は、別紙(一)記載のとおりであつたこと、同年四月の長崎市における世帯人員二人の標準生計費は月額一三万一、八五〇円であつたこと、和子は同年七月に昇給し、また、同年九月から申立人を被扶養者とする扶養手当を受給していること、申立人は同年八月分から年額二六万〇、八七二円の退職年金が支給されていること、申立人には現住居以外に福江市に持ち家があり、これに和子の母を住まわせていることが認められる。

右の事実によれば、申立人夫婦は、昭和五六年中、少なくとも、和子の前記給与所得総額から別紙(一)記載の費用合計約三六九万円(一万円未満切上げ)を控除した約一六七万円(月額平均一四万円弱)を生活費として使用できたことになり、前記標準生計費を上回り、和子が同年の後半に昇給し、かつ、扶養手当を受給するようになつたこと、申立人に退職年金が支給されていること等を併せ考えると、現在においては、申立人夫婦には優に標準以上の生計を維持し得る収入があるものと推認することができる。なお、和子が子宮摘出の手術を受けたこと(疎甲第一一号証によれば昭和五四年のことと認められる)は当事者間に争いがなく、また<証拠>によれば、和子は現在鼻アレルギー症で通院治療していることが認められるが、このような和子の健康状態が、殊更家計の負担になつているものとは認められず、他に特に家計を圧迫するような事情が存することの疎明もない。

以上のような申立人夫婦の家計の収支状況に、申立人の前記資産状況も併せ考えると、申立人が本件処分により生計を維持することが困難な経済状態に追い込まれていて、その執行を停止しなければ回復困難な損害が生ずるとは到底認め難い。

3  次に、申立人が、本件処分により精神的苦痛を受けていることは明らかであるが、それが本件処分に伴い通常発生する苦痛の程度を超える甚大なものであることの疎明はなく、これを以つて本件処分の執行を停止しなければ回復困難な損害が生ずるとすることもできない。

四そうすると、本件申立は、その余の点について判断するまでもなく理由がないのでこれを却下することとし、申立費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(渕上勤 米田絹代 川添利賢)

別紙(一)

所得税 四五万四、七〇〇円

住民税 二五万八、一一〇円

社会保険料 三三万〇、九〇八円

互助掛金等 五万三、二四四円

PTA会費、組合費等 約一五万円

保険料(和子分) 七万二、一二〇円

保険料(申立人分)

一四万七、四八〇円

住宅貸付金返済金

一七一万七、八一六円

公立学校共済組合

四二万二、六二八円

長崎県労働金庫 一〇〇万円

住宅金融公庫 二九万五、一八八円

固定資産税 八万七、六八〇円

学生協及び弘済会支払金

四一万七、二四〇円

別紙(二)

申立の趣旨

一、相手方が申立人に対して昭和五六年七月二〇日付でした免職処分の効力は、本案判決が確定するまでこれを停止する。

二、申立費用は相手方の負担とする。

との裁判を求める。

申立の理由

一、当事者の地位

申立人山田芳廣(以下「申立人」という)は、長崎市立川平小学校に教諭として、勤務していた地方教育公務員である。

相手方長崎県教育委員会(以下「相手方県教委」という)は、原告の任命権者である。

二、分限免職処分の存在

昭和五六年七月二〇日、相手方県教委は、申立人に対して、分限免職処分の発令をなした。その処分の理由とするところは、別紙処分事由<省略>のとおりである。

これを要約すると、

1 昭和五五年四月一日から同五六年三月三一日まで、申立人が、長崎市立川平小学校第二学年の学級担任であつたところ、校長の再三にわたる「昭和五五年度学年末成績一覧表」および「指導要録」の提出命令並びに「各教科学習の記録、Ⅱ観点別学習状況」欄の「国語」、「社会」、「算数」、「理科」及び「図画工作」の評価記入命令に違反した。

2 その他職務上の義務を怠り、上司の職務上の命令や指導に従わなかつた。

(1) 五島在勤時代に申立人は①昭和五〇年五月に校長の承認がないのにかかわらず、勝手に自宅研修のため帰宅した。②昭和五〇年六月から同五二年三月まで、一年一〇ケ月にわたり、校長から押印の指導があつたにもかかわらず、出勤簿に押印しなかつた。③校長から週案の提出指導を受けたにもかかわらず週案を提出しなかつた。

(2) 長崎市在勤時代に申立人は、①昭和五三年度長崎市教育委員会による学校訪問に際し、校長の公開授業学習指導案提出職務命令を拒否した。②昭和五四年も同様に校長の同指導案提出職務命令を拒否した。③昭和五二年四月以降、各校長から学習指導記録簿提出の指導を受けたが、これに従わなかつた。

というものである。

三、処分の取消原因

(一) 処分事実の不存在

相手方県教委の申立人に対する処分事実は、事実を誇張したり、歪曲するもので、処分に価する事実は存在しない。

すなわち、

1 申立人に対して、指導要録をめぐる職務命令を校長が発したというが、校長はそのような職務命令を発したことはない。又、申立人は、指導要録の「Ⅱ観点別学習状況」の記入については、文部省見解である「目標を十分に達成したものには+印を、達成が不十分なものには−印を記入すること。なお、おおむね達成したものには空欄のままにすること」との趣旨にそつて、記入提出したものである。従つて、「国語」、「社会」、「算数」、「理科」及び「図面工作」は、全児童が「おおむね達成」に該当すると判断して、空欄にしたものであり、「体育」には「十分に達成した」児童がいたので「+」が、音楽にも右に従い、+、空欄、−が記入されている。

校長は、何らの理由を示すことなく、「もつと+、−をふやして欲しい」と云うのみで、特別に職務命令と思われる言動をしていない。

2 五島時代の自宅研修問題は、校長が、自宅研修を認めなかつたので、専科教員として家庭訪問を行つたものである。当時、申立人は、富江支部の支部長の役職にあつたため、校長を含む職員会議において、右役職にそうように専科教員となつたもので、成績不良という理由に基づくものではない。又、出勤簿の押印についても、支部長に就任し、そのため組合業務関係で、出勤簿に押印を忘れることがあつたにすぎない。この問題で、校長から何ら注意を受けたこともない。週案を提出しなかつたことは事実であるが、週案提出の職務命令を受けたことはない。週案提出をめぐつて、校長に職務命令を発する権限があるかどうか、校長と論議した結果、提出は強制しないということで話合いがついたものである。

長崎市在勤中、公開授業学習指導案を拒否したことは事実である。しかし、授業における学習指導案の作成は、教員の専権事項であつて、職務命令によつて強制されるものでないので、提出しなかつたまでである。学習指導記録簿を提出しなかつたのも同様の理由にもとづくものである。

以上のとおり、処分対象事実が不存在であるから、本件分限免職処分は取消されるべきである。

(二) 分限免職処分権の濫用

相手方県教委は、申立人に対し、地公法二八条一項一号「勤務実績が良くない場合」、三号「その職に必要な適格性を欠く場合」を適用して処分した。

地公法二八条一項一号、三号は、左記のように解されている。一号にいう「勤務実績が良くない場合」とは「勤務の結果について判断するものであつて、勤務成績の評定結果等、客観的な資料に基づいて行われることが望ましい」(「逐条地方公務員法」鹿児島重治著、学陽書房四四一頁)と解され、又、三号にいう「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、「当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合」(最高裁昭和四三年(行ツ)第九五号、昭和四八年九月一四日第二小法廷判決)と解されている。しかも、前記最高裁判決は、適格性の判断基準として「この意味における適格性の有無は、当該職員の外部にあらわれた行動、態度に徴してこれを判断するほかはない。その場合、個々の行為、態度につき、その性質、態様、背景、状況等の諸般の事情に照らして評価すべきことはもちろん、それら一連の行動、態度については相互に有機的に関連づけてこれを評価すべく、さらに当該職員の経歴や性格、社会環境等の一般的要素をも考慮する必要があり、これら諸般の要素を総合的に検討したうえ、当該職に要求される一般的な適格性の要件との関連においてこれを判断しなければならない」と説示している。

更に、分限免職処分についての裁量判断につき、「ひとしく適格性の有無の判断であつても、分限処分が降任である場合と免職である場合とでは、前者がその職員が現に就いている特定の職についての適格性であるのに対し、後者の場合は、現に就いている職に限らず、転職の可能な他の職をも含めてこれらすべての職についての適格性である点において適格性の内容要素に相違があるのみならず、その結果においても、降任の場合は単に下位の職に降るにとどまるのに対し、免職の場合には公務員としての地位を失うという重大な結果になる点において大きな差異があることを考えれば、免職の場合における適格性の有無の判断については、特に厳密、慎重であることが要求されるのに対し、降任の場合における適格性の有無については、公務の能率の維持およびその適正な運営の確保の目的に照らして裁量的判断を加える余地を比較的広く認めても差支えないものと解される」と判示した。

以上の分限免職処分をめぐる法理に照らすと、本件分限免職処分には、明らかに処分権濫用の違法がある。

申立人は、昭和二九年一一月長崎県南松浦郡岐宿町立岐宿小学校助教諭に任用されてから今日まで、教員歴二六年余に達し、この間長崎県教職員組合本部および長崎総支部の指示、指令、決定に従い、そのため、多数の組合員とともに懲戒処分を受けたことがあるが、日常の勤務で、勤務成績不良で昇給を延伸されたこともなければ、校長より注意を受けたこともない。また、学校運営に支障を与えたりしたこともない。しかるに、本件処分はもつぱら、校長の権力的学校運営をとおして、教員支配を確立しようとする相手方県教委の恣意的処分であつて、処分権を濫用したものであるから、取消されるべきである。

四、裁決を経ない本訴提起について

申立人は、昭和五六年八月二九日本件処分の取消しを求めて、長崎県人事委員会に、不服申立をなしたが、同人事委員会には、他に多数の案件が係属しており到底早期の裁決が期待できない。

従つて、申立人が裁決を経ないで訴えを提起することについては、正当な理由があるから、本日、申立人は、裁決を経ないで本件処分の取消訴訟を御庁に提起した。

五、緊急の必要性

申立人は、賃金を唯一の生活の糧とする賃金労働者である。本件処分により、申立人は、唯一の生活の糧を失い、生活上の困難に陥つており、又、教師不適格との烙印を押され、精神的にも大きな打撃を被つている。

申立人は、昭和二九年以来、約二二年間にわたり、五島の各小学校に勤務してきたが、相手方が昭和五一年度末に、一方的な全県広域人事異動を強行したことに伴ない、昭和五二年から長崎市内の小学校に転勤せざるをえなくなつた。

なお、申立人の妻も教諭であるが、昭和五三年に五島から香焼町立香焼中学校に転勤になつたため、申立人の家庭では、長崎市に新たに住居を設ける必要に迫られた。そこで、借家をした場合に支払う家賃の額と住居を新築した場合のローンの支払額が大差ないことや、子どものいない二人の老後のことを考えて、全部で約二、〇〇〇万円を借入れて、現住所に住居を新築した。

右住宅資金の借入及び返済は、夫婦二人の収入予定額を基礎として計画されたものであり、申立人の給与収入が閉ざされれば、毎月のローン支払は極めて困難になる。

ところで、申立人の妻の給与の手取額は、一ケ月一五万八、一四四円であり、これから住宅資金の支払月額(七万四、五九九円)を差し引けば、八万三、五四五円となる。この金額で、夫婦二人が生活を営むのは極めて困難であり、申立人がその生活上回復の困難な損害を被ることは多言を要しない。

そして、このまま、申立人が給与収入を得られないとすると、現在居住している住居を売却しなければならなくなるが、その場合には住宅ローンの支払を免れるが、家賃の支払を余儀なくされるので、申立人の生活上の困難はほとんど減少しない。

更に、申立人の妻は、健康状態がすぐれず、昭和五五年には、子宮摘出手術のため、入院し、現在も通院を続けており、今後の健康については予断を許さない状態である。

以上の各事実のほか、今後本案の確定に至るまで相当長期間を要することが予想される点も考慮すれば、申立人の生活基盤ないし家庭基盤が崩壊の危機に瀕していることが明らかであり、本件免職処分により生ずる回復の困難な損害を避けるため、その執行の停止を求める緊急の必要性がある。

六、以上により、速やかに本件処分の効力の停止を決定されたく、本申立に及んだ次第である。

別紙(三)、(四)<省略>

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